どんな生き物にも生きて子孫を残すためには、食べ物を食べて生活する場所を確保することが必要です。ときには遊び、学び、情報を処理することが不可欠です。このような営み全体を「経済」と考え、その40億年に及ぶ歴史を紐解き、学んでいくことも必要です。つまり、18世紀の終わりに始まった産業革命以降の市場システムだけを経済と考えるのではなく、地球上のあらゆる生命が生きていくために必要な「生命システム全体の維持活動」を経済と考え、人類の経済を多少窮屈ではあっても「地球生命体」の一部となるように、制度設計しなおすことが必要ではないでしょうか。生命の経済活動は、蜘蛛が巣を作る、ビーバーは川をせき止めてダムを造る、アリは地下にトンネルを作る、燕は飛ぶ虫を低空飛行で巧みにとらえる、という具合に「適者生存」の世界を生きていますが、人間だけが工場やコンビニを造り、ゴミを海から大気圏外にまで捨てまくり、わがもの顔で地球に君臨しています。経済とは、基本的にeconomy=節約、家事に関することと同義であり、economics(経済学)は、日本に昔からある「経世済民の学」(世を憂い民を救済する学)と基本部分で一致し、地球を憂いて、いきとし生きるものを救う学(共生思想)へと進化しなければならないと思います。環境経済学は、そのような岐路に立たされているのではないでしょうか。ダーウインは、生命の営みを「経済」と呼びました。Colony(生き物の集団)も経済と考えたようです。(『種の起源』)基本デザインは、「自給自足原理」によって、長い生産と流通、商品の道程を出来るだけ短縮すること。出来ることはなるべく自分(たち)でやる、という自給自足的な経済を取り入れることを基本戦略とします。DIY経済の必要性を説いた「ロビンソン・クルーソーの経済学」をぜひ勉強してほしいと思いますが、DIYによる国内総生産があるとして、その比率がマクロのGDPの30%くらいに高まるような政策を打って出るのも、一つの手であると筆者は考えています。化石燃料の使用を出来るだけ控え、再生可能な(自給する)エネルギーへと切り替えていく。お金で物を買って楽しむという価値観から、自ら何かを創造して、それを人生の最大の楽しみとする価値観へ切り替えることが必要だと考えています。このような取り組みがおとぎ話だと思うなら、灼熱地獄の地球で私たちは死を迎えるしかない、そう思います。(本書 エピローグより)